LOGIN信行の問い詰めに、真琴は落ち着き払った様子で彼を見つめ、冷静に答えた。「平穏に生きてこられたかどうかは、あなた自身の問題であって、私には関係のないことよ」そして続けた。「今更になって私に情があるなんて言わないで。そんなの、自分自身を誤魔化しているだけじゃない。あれこれ手を尽くして私が誰なのか証明しようとしたのも、結局は自分が安心したかっただけでしょ。ええ、思い通りになったわ。私は死んでいないし、こうして元気に生きている。これであなたも安心できるわね。ただね、私はとうの昔にあなたから手を引いているの。だからあなたにも、私のことはきっぱり諦めて、お互い平穏に生きていくことを望んでいるわ」真琴にしてみれば、信行のやったことはすべて、彼自身が少しでも楽になり、後ろめたさを減らすためのものに過ぎなかった。ただ自分の死を、彼自身から完全に切り離したかっただけなのだ。それ以外の感情が残っていると言われても、真琴には到底信じられなかった。三年に及ぶ結婚生活で、とうにすべてを見透かし、はっきりと理解していたからだ。そこまで言い終え、黙って自分を見つめる信行に対し、真琴は再び淡々と言った。「本来なら自分が誰なのか認めるつもりはなかったし、言い争う気も、昔のことを持ち出すつもりもなかった。でも、あなたは適度なところで引き下がることを知らずに、私を困らせたのよ」そう口にする真琴の声はとても静かで、感情の波はほとんど感じられなかった。本当なら、いくつかの事は信行が心の中で分かっていればいいだけだった。わざわざ明るみに出す必要も、無理に確かめる必要もなかった。ただ真琴の選択を尊重し、今の彼女の生活を尊重してくれればそれでよかった。だが、信行は昔と全く同じだった。自分の気持ちばかりを優先し、他人のことなど少しも顧みない。真琴に「困らせた」と言われ、信行は返す言葉がなかった。真琴のDNA鑑定結果を持って智昭のところへ行った時、智昭にも同じことを言われていた。「辻本を困らせるな」と。信行が何も言えずにいると、真琴はふうっと軽く息を吐き、穏やかな声で言った。「これからは、なるべく会わないようにしましょう」そして、「先に戻るわ」と付け加えた。振り返って立ち去る真琴の後ろ姿を見つめながら、信行の顔色は険しく沈み
あの頃、真琴はよく居眠りをしていた。それでも、「俺のベッドで寝ろ」と促すと、いつも素直に彼のベッドに入って眠りについたものだ。あの頃の二人は、確かにとても仲が良かった。じっと真琴を見つめる。その透き通るような肌、豊かな眉、静かに伏せられたまつ毛を見ていると、信行は激しく後悔した。あの時、どうして自分はあんなにも鈍感だったのか。なぜ真琴の気持ちに気づけなかったのか?いや、本当は気づいていたのだ。ただ、あの日記帳を見た時、嫉妬で狂いそうになっただけだ。様々な記憶が込み上げ、信行は右手を伸ばし、そっと真琴の頬に触れた。その手つきは、とても細やかで、優しかった。ただ、その優しさはあまりにも遅すぎた。信行のその指先が、ほんのわずかに触れただけだったが、真琴はビクッとして、ぱっちりと目を覚ました。両手をシートについて身を起こし、少し眉をひそめて左右を見回す。それから手を上げて目を擦り、穏やかな声で言った。「ホテルに着いたのね」真琴が目を覚ましたのを見て、信行はゆっくりと手を引き戻し、温かい声で返した。「ああ、着いたよ」その声に真琴もすっかり目が覚め、シートベルトを外して車のドアを開けた。「お送りいただき、ありがとうございました。片桐社長」またしても「片桐社長」と呼ばれ、信行の眉間はきつく寄り、しわが刻まれた。特に正体が明らかになり、すべてを腹を割って話した後だけに、未だに「片桐社長」と呼ばれると、ますます居心地が悪く、やりきれない気持ちになる。淡々と真琴をしばらく見つめ、信行はようやく口を開いた。「どうしてもそこまで気を使い、よそよそしくしなきゃならないのか?」納得のいかない信行の言葉に、真琴はただ彼を見つめ返した。しばらくそうしていたが、真琴は何も答えず、自分のバッグを手に取って無言で車を降りた。真琴が何も言わずに降りたのを見て、信行もすぐにドアを開け、後を追って車を降りた。そして追いつくやいなや、サッと右手を伸ばして彼女の腕を掴んだ。「真琴」腕を引かれ、真琴はずり落ちそうになったバックパックを肩にかけ直し、振り返って信行と向き合った。視線がぶつかる。真琴は信行を見据え、静かに言った。「何の誤解もされたくないし、いらぬ期待も持たせたくない。私はもう昔に戻りた
真琴が答えを返すと、車内は再びすっと静まり返った。信行はもう少し何か話したかったが、二年という月日が経った今、真琴と話せるような話題すら少なくなっていることに気づいた。しばらく考えてから、ようやく再び口を開いた。「脳震盪の回復はどう?頭痛がしたりはしないか?」信行があの事故のことについて触れると、真琴は答えた。「ええ、特に後遺症とかはありません」そして付け加える。「あの事故の件は……巻き込んでしまってすみませんでした」確かにあの件は自分が信行を巻き込んでしまったのだし、彼の車に乗ったのも、どこかいいタイミングで一言謝っておきたかったからだ。真琴のその他人行儀な態度に、信行は両手でハンドルを握りながら、思わずふっと笑みをこぼした。笑った後、しばらくしてからようやく口を開いた。「……たとえこの先に何もないとしても、もう二度とやり直せないとしても、そんなによそよそしくしないでくれ。何年も前から知ってるし、一緒に育ってきた仲なんだから」真琴に他人行儀にされるたび、信行の胸はひどく痛んだ。その言葉を聞いて、真琴はただ前方の道へと視線を戻すだけだった。東都はやはり狭すぎる。ちょっと出かけただけで、こうしてまた信行と出くわしてしまうのだから。車内はとても静かで、信行はずっと何か話題を見つけて話しかけようとしていたが、真琴の沈黙のせいで、そのきっかけすら掴めずにいた。車が市街地に入った頃、前方で玉突き事故があり、二人は途中で渋滞に巻き込まれてしまった。前方がすっかり塞がっているのを見て、真琴はふと腕を上げて時計に目をやった。それを見て、信行は真琴の方をちらりと見て尋ねた。「急ぎか?」その問いに、真琴は手を下ろし、淡々と答えた。「急いではないわ。ただ習慣で時間を見ただけ」確かに急いでいるわけではないが、信行と長く一緒にいるのもあまり気が進まなかった。ただ、まだ東都を離れていないし、すでに正体も知られている以上、落ち着いてすべてに向き合う必要があった。車がぴたりと動かなくなる中、信行の視線の端には真琴の姿が映っていたが、今のこの二人きりの時間をとても大切に感じていた。これといった会話はなくても、こうして静かに真琴を見つめているだけでもよかった。それだけで、ひどく安心できた。手にス
それ以上口出しするのはやめ、二人は食事を楽しみながら別の話題に花を咲かせた。……一方、店内の個室では。先ほど外で真琴と顔を合わせて以来、信行はどこか上の空で、時折外の様子を気にするように視線を向けていた。この席から外の様子など見えるはずもないのだが。信行の心の揺れは、拓真の目にはすべてお見通しだった。彼を見やり、拓真は言った。「真琴ちゃんが誰かと結婚しない限り、お前にもまだ可能性があるさ。ただ、あまり急ぎすぎるのはよくないぞ」信行が口を開くより先に、拓真はさらに続けた。「五十嵐家の件だって、あの爺さんが孫の結婚にすんなり首を縦に振るとは思えない。だから、お前も完全に望みがないわけじゃない」五十嵐家の内情については二人ともよく分かっているため、大体の事情は推測できた。拓真の慰めに、信行は視線を戻し、そっけなく返した。「もういい。そこまで慰められるほど落ちぶれちゃいないさ」だが、真琴を恋しく想う気持ちは本物だった。よりを戻したいのも、紛れもない本心だ。そんな強がりに対し、拓真は相槌を打った。「はいはい、もう言わないよ。ただ、また俺を飲みに引っ張り出すのだけは勘弁してくれよな」そうからかうと、信行は冷たい視線で彼を睨んだ。その後、二人で食事を済ませ、席を立つ頃には、真琴と紗友里もすでに食事を終えていた。信行はついでに二人のテーブルの分も会計を済ませておいた。店の入り口で、信行が自分たちの分まで支払ってくれたのを見て、紗友里は何食わぬ顔で言った。「ごちそうさま、片桐社長」真琴が「片桐社長」と呼ぶから、紗友里もそれに悪乗りしてそう呼んだのだ。その言葉を聞いて、信行は底抜けの馬鹿を見るような目で彼女を睨みつけた。四人が入り口に揃う中、紗友里が信行の気持ちをこれっぽっちも分からず、ただ場をかき乱しているのを見て、拓真はポケットから右手を出すと、紗友里の首根っこを押さえて言った。「紗友里、第三プロジェクトの工事でちょっと問題があってな。お前にも見てもらいたいんだ。今すぐ俺と一緒に現場へ行くぞ」そう言うなり、紗友里が状況を飲み込む間も与えず、拓真は首根っこを押さえたまま彼女を店外へ連れ出した。何が何やらさっぱり分かっていない紗友里は、首を捩って拓真に抗議した。「何の問題
その時、紗友里は慌てて真琴の方を向き、言い訳をした。「真琴、絶対に私がお兄ちゃんを呼んだんじゃないからね!二人が来るなんて本当に知らなかった。知ってたら、絶対にこの店には連れてこなかったわ!」真琴が信行を嫌がっていることも、今までしてきたことがすべて信行から逃れるためだったことも分かっているからこそ、紗友里も空気を読んで、余計な茶化し方はしなかった。この日の午前中、ずっと一緒にいた間も、信行の名前は一切出さなかったし、よりを戻すような話も一切しなかった。要するに、真琴が決めたことなら何でも応援するし、困らせるような真似はしないつもりなのだ。慌てて言い訳する紗友里の頭を、拓真が手に持っていた書類で軽く叩いた。「はいはい、俺と信行も、二人がここにいるなんて知らなかったんだから、そんなに焦って言い訳しなくていいぞ」そう言ってから真琴へと視線を移し、笑顔で声をかけた。「真琴ちゃん」その呼びかけに、真琴は柔らかな笑みで返した。「拓真さん」そして信行へと視線を移し、他人行儀に言った。「片桐社長」そのよそよそしい呼び方に、信行の胸はチクリと痛んだ。誰に対しても壁を作らないのに、信行に対してだけはきっちりと線を引いている。ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、信行はただじっと真琴を見つめていた。とにかく、真琴は信行の心をえぐるのが本当に上手い。気まずく固まってしまった二人の空気を察し、拓真が慌てて間を取り繕うように明るく言った。「真琴ちゃん、せっかく会ったんだし、みんなで一緒にどう?俺と信行で個室を取ってあるからさ」拓真が言い終わるや否や、紗友里が即座に断った。「それは遠慮しておくわ。私と真琴はまだまだ女子トークがあるから、そっちには混ざらない。二人でさっさと食べてきなさいよ」「……」そう言い切った紗友里に、拓真は言葉を失って見つめるしかなかった。兄の気持ちをこれっぽっちも分かっていないし、間を取り持つどころか完全にへし折ってくる。本当にポンコツな身内だ。お手上げといった顔の拓真を、紗友里は急かすように押した。「ほら、二人とも早く入ってよ。私と真琴のおしゃべりの邪魔しないでね」ここで真琴も笑いながら同調した。「お気持ちだけいただきます。私たちは外の席で十分ですので」真琴
ほどなくして。真琴が身支度を済ませて下のカフェラウンジへ降りていくと、紗友里はすでにそこで待っていた。遠くから歩いてくる真琴の姿を見るなり、紗友里は勢いよく椅子から立ち上がった。そのまま一直線に駆け寄り、両腕を広げて真琴をきつく抱きしめる。途端にその目は真っ赤になり、これまでの辛さや寂しさで胸がいっぱいになったようだった。飛び込んできた体をしっかりと受け止め、その久方ぶりの温もりを感じて、真琴の目頭もみるみるうちに熱くなった。この瞬間、二人は何も口には出さなかったが、すべては沈黙の中にあった。互いに言葉を交わさずとも、痛いほど理解し合えていた。片腕でその背中を抱き、もう片方の手で優しく背中を叩きながら、真琴は目を赤くして言った。「紗友里……ごめんなさい、騙していて」紗友里は何も言わなかったが、自分が真琴であるととうに気づいていることは、痛いほど分かっていた。謝りながら、真琴の脳裏には東都を離れたあの夜の光景が蘇っていた。智昭と共に少し離れた花壇に身を潜め、燃え盛る火事を見つめながら涙に暮れ、泣き崩れて気を失う紗友里の姿を見たあの夜のことが。そう思うと、胸の奥がひどく痛んだ。紗友里を騙したくはなかったが、どうしようもなかったのだ。信行から逃れるためには。真琴の言葉に、紗友里は抱きついたまま首を横に振った。「分かってるよ。わざとじゃないことも、苦しい事情があったことも。無事なら、生きていてくれたなら、それだけでいいの」真琴が口を開くより先に、紗友里は慌てて体を離し、早口で報告してきた。「そうだ、辻本の旧宅も、真琴のアパートも、ちゃんと定期的に掃除に行かせてるよ。おじいちゃんが遺してくれた物も、全部きれいに手入れしてあるからね。絶対に無駄にはならないって、こういう事をしておくのは絶対に意味があるって、私ずっと信じてたから」その言葉に、真琴は胸がいっぱいになり、たまらず再び紗友里を抱きしめた。そうして抱きしめられると、紗友里もとうとう堪えきれなくなったのか、声を詰まらせた。「これからはもうどこにも行かないで。もう離れ離れになるのはやめよう。ね?」その引き留める声に、真琴は力強く頷いてみせた。これまでは東都に留まることなど考えもしなかったが、「もう離れ離れにならない」というその言葉
もう大人なのだから、言い訳はしない。さっきの信行の腕とキスと優しさに、少し抗えなかっただけだ。平然と服を整える真琴の耳が赤いのを見て、信行は身を乗り出し、からかうように言った。「真琴ちゃん、いい声だったぞ……気に入った」真琴は顔を上げて彼を一瞥し、淡々と言った。「もう遅いから、帰って」信行の笑みはさらに深まった。「気持ちよくなったら追い出すのか?」真琴は答えなかった。服を着終えてから言った。「講演の原稿を書かなきゃいけないの。帰って」そう言って、書斎へ向かった。パソコンを開いても、頭の中はさっきの信行とのことでいっぱいだった。彼は最後の一線は越え
その時、信行は手にした協議書を一瞥し、鼻で笑って尋ねた。「誰に吹き込まれた?離婚協議書を爺さんのところに持ち込めば、それでカタがつくとでも思ったのか?」真琴は顔を上げた。彼女が反論する前に、信行は被せるように言った。淡々とした口調だ。「爺さんには散々絞られたし、圧力もかけられたよ」そして、真琴に口を挟ませまいと続けた。「協議書にある不動産や資産の譲渡だが、明日から法務部に手続きを始めさせる。名義変更などで、お前にも協力してもらう必要があるかもしれん」その言葉を聞き、真琴はてっきり彼が協議書にサインし、月曜日に離婚申請に行けるのだと思った。しかし、信行は協議書
「お願い。お願いだから私を解放して……サインして、離婚してよ……結婚が無理強いだったとしても、この数年で借りは返したはずよ。もう十分でしょう?もう……離婚しよう!」真琴の悲痛な叫び。背中に食い込む彼女の指。信行は真琴を強く抱きしめ、髪に口づけを落として宥めた。「俺が悪かった。お前がそこまで思い詰めていたなんて知らなかった……気にしていないものだとばかり思っていたんだ。これからは二度とあんな真似はさせない。お前に面倒な後始末なんてさせない。ただ好きな仕事をして、好きなように過ごせばいい」彼女があまりに聞き分けよく、文句一つ言わなかったので、本当に気にしていないのだと誤
お茶を飲もうとしていた信行の手が止まり、真琴をじっと見つめた。しばらく見据えた後、ふっと自嘲気味に笑って言った。「俺に隠れて、コソコソ色々やってるみたいだな」信行が言い終わると同時に料理が運ばれてきたので、それ以上は何も言わず、彼は真琴にスープとご飯をよそってやった。おかずを取り分ける時も、彼女が嫌いな薬味を丁寧に避け、魚の骨まで綺麗に取り除いてくれた。今日の信行のこの甲斐甲斐しい優しさを、真琴は黙って見ていた。静かに待った。彼が本題を切り出すのを。今日のこの優しさは、きっと「別れの餞」なのだろうと思えたからだ。食後、信行は真琴を連れて川沿いを散歩した。手を







